April 26, 2008

LSD120分 16km

 4月某日。予定はLSD90分以上、ペースは7.5分/km くらい。いつもの河川敷はやや風があるものの、寒からず暑からず絶好のLSD日和だ。

 LSD(Long Slow Distamce)はできるだけだらだらと走り続けるトレーニング。私の場合は1kmを走るのに7〜7.5分かけるくらいのペースがちょうどいい。(もっと走力のある人はもう少し速いペースになるらしい) 周回コースをちんたらと2周(4km)走ってからロードに出る。以前自転車で走ったことがある道、知らない道、初めて見つけた禅寺、自動車学校…発見というほどでもないが、長年住んでいる街の中の初めて通る道だ。

 桜が終わり花水木が咲き始めていた。蓮華は見つからなかったがオオイヌノフグリやたんぽぽが花盛り、空にはひばりがピーチクパーチク…。走りながら頭の中で「愛宕山坂、え〜え〜坂」のフレーズが繰り返された。

 街中をぐるりと走り再び河川敷に戻ったところで約1時間経過。そのままペースをチェックしながら周回コースを走る。90分、予定時間に達したがまだ行けそうだ。頭の中で計算を始める。1km走るのに7.5分ってことは、90分間で何kmになるのかな? …え〜っと、90分間ってことは1.5時間だから、え〜っとえ〜っと…走りながらだとこの計算ができない。何度も計算しようとしたのだが、どうにも途中からワケが分らなくなり、走りながら思わず笑ってしまった。

 そういうしているうちに100分が過ぎた。まだ計算できない。今までの最長時間が105分だったので、そこまで頑張ることにした。頑張ると言ってもゆっくりペースで走り続けなければいけない。急がない忍耐力も大事だそうだ。

 105分経過。今までの最長時間に突入。しかし考えてみればここから15分走れば120分、つまり2時間になる。1km7.5分ってことは2kmが15分、1時間に8kmだから2時間で16km、おお、やっと計算ができた。ゆるゆると周回コースを一周すれば120分達成である。

 120走ったとこでLSD終了。最後はかなりへろへろになった。クールダウンをしてストレッチをして帰宅。すぐに結果が出ないのがトレーニングだが、走ること自体が楽しくなってきていることだけは確かなようだ。

April 24, 2008

微妙なTですが

4月某日、山梨県笛吹市で行なわれた市民マラソン大会に参加しました。今回が大会デビューです。

“マラソン大会”と言っても42.195kmを走る正式なものではなく、ハーフマラソン、10km、ファミリー 3.5km といったカテゴリーがある大会です。私は『壮年10kmの部』にエントリーしました。改めて“壮年”と言われると、いささか驚きがっくし来ましたが、初レースはとても楽しいものでした。

小型のデジカメを持っていないので、写真を撮れなかったのが大いに悔やまれます。会場となった笛吹市いちのみやは一面の桃畑が満開の花盛り。沿道には地元の方々が声援を送って下さり、初心者の走りを後押ししてくれました。

近所の河川敷を一人黙々と走るのと違い、多くの人と満開の花の下を走る気持ちの良さと言ったら。途中で後からスタートした女子10kmの部のアスリートが追い越していきましたが、カモシカのような彼女達の走りを間近で見られた(アッという間に抜かされてしまいましたが)のも、勉強になりました、う〜む、無駄のない走りだ。

グロスタイムが1時間3分14秒。スタートラインに並んだときは最後尾にいてピストルがなってからスタートラインを越えるまで約3分、ラインを越えてから自分の時計で計測をしたところでは、60分24秒でゴールしました。去年の同じカテゴリーの優勝タイムがおよそ33分ですから、半分近くの速さの初心者ですが、実はこれが(ここまでの)自己ベスト。気持ち良く走りきることが出来たので上出来とします。

ゴール後はすぐに記録証が発行され、参加賞のTシャツにお弁当と豚汁を頂き、近くの温泉の無料入浴券までつくという至れり尽くせりの運営でした。来年も参加したいと思います。Tシャツのデザインは、かなり微妙でしたけど ^-^;

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April 01, 2008

春の言葉

 春は出会いの季節はじまりの季節、と書き出すと多分明るい内容の文章になる。別れの季節おしまいの季節と書き出すとさみしい内容になる。

 (実はもう一つ、もう周りは年度末だってんでバタバタイライラして眼なんかつり上がっちゃって、空気が殺伐としてて嫌んなっちゃう?というのもあるのだが?)

 石持て追われるようにようにして去って行った上司に対して、公の場で文句を言っちゃいけなかったな、田中マルクスくん。「あの監督がいたころは、雰囲気も良くなかった」 百歩譲って内容を否定しないとしても、まだ早かった。自分が無能だと思った上司がいなくなた直後ではなく、いなくなった事で自分が世間から認められる結果を出してから言うべきだった。

 言葉として発すると、もうそれを引っ込めることは出来ない。取り消すことはできない。上からつぎはぎを当てる事しかできない。

 …と言っている自分も、随分失敗しているんだけど?。

 先日、12歳の子から嬉しい言葉をもらった。
「え〜っと、あの、3、4年間お世話になりました。ありがとうございました」 照れながら言っていた姿が、何とも可愛かった。
 「3、4年間って!」と突っ込んで笑ってしまったのだが、それがその子の実感だったのだろう。何より照れくさくても言わなきゃという気持ちが伝わってきた。言葉にすると照れくさいものでも、言ってみると悪くないだろ? こういうのは。