November 14, 2008

11月9日 CFJカップロードレース2008

 9月11日、CFJカップロードレース2008(兼 第26回JBMAマラソン東京大会)に参加しました。会場は国立霞ケ丘陸上競技場、そうです、東京オリンピックのメインスタジアムにして、我が浦和REDSが初めてのタイトル(ナビスコカップ)を手にしたスタジアムで、天皇杯をマリッチ選手とともに獲得した、思いでの聖地です。

スタートゲート この大会は1983年に『全日本盲人健康マラソン大会』としてスタートしたもので、今年で26回目だそうです。

 市民マラソン大会に参加するようになってまだ1年足らず、こういった大会があることなど全く知りませんでした。走るようになって少しだけ自分の周りの世界が拡がったという事かも知れません。

 当日はやや寒い天候ながら、走るには絶好のコンディション。しかも会場はあの国立、テンションも自然と上がります…と言いたいところなのですが…。実は走り始めてからの最悪のコンディションだったのでした。


昭和の風情のロッカールーム “10月は走り込みの季節!”と意気込んでいたものの相次ぐ故障で結局走行距離はわずか61km。目標の半分以下で10月が過ぎてしまいました。

 膝を支える筋力の不足という事なのでしょうが、左右の膝が交代で痛くなる様になってしまいました。ようやく膝が良くなってきたかなと思うころに咽喉の炎症。踏んだり蹴ったりの一ヶ月でした。

 毎回走るたびに“前回よりも少しでも良いタイム”というのを目標にして来たのですが(前回の『巨峰の丘』は上り下りだけの特別コースだったので、特例として省こうかなと思っています…)、今回は完走が目標。不安を抱える両ひざはサポーターで固め、リハビリ風情はジャージで隠しての参加でした。


アウェイ側ゴール裏! 国立のトラックからスタート。ロッカールームからトラックに上がるだけでワクワクしました。あ〜、ここをエメもマリッチも歩いたんだぁ、あぁ俺が泣いたのはあのスタンドのあの辺りだぁ…サッカー馬鹿の頭はなかなかランニングに切り替わりませんでした。

 この大会は目の不自由な方々と一緒に走ります。今までの市民マラソン大会でも目の不自由な方が伴走者の方と走っていのと一緒になったことがありますが、へなちょこランナーの私なんかよりも健脚の方が多いこと! この大会では北京パラリンピックに出場された方まで参加していたそうです。お!、なかなか凄い大会じゃないか! 

 とはいえ私の参加した10km第二レースの参加者は一般が約200人、視覚障害の方が約50人という小さなもの。大勢でわぁ〜っと並んでピストルがなってからスタートラインを越えるまで何分もかかるというようなレースよりも、コンパクトでイイ感じでした。

 しかし人数が少ないということは私のようなへなちょこはビリになる公算が大という事でもあります。まぁ完走が目標のレースでしたがさすがにビリは嫌だなぁと思いながらスタートしました。

 スタート直後は5分/kmを切るペース。速い速い! 膝が心配です。しかし全体の流れがそうなのですから、我慢して走り続けそのままトラックを一周半して、競技場外の道路に出ました。

 道路に出ると徐々にばらけてきて、自分のペースで走れるようになります。走りながら自分と同じペースの人を探し伴走してもらいました(黙って後ろからついていく…^-^; ) 競技場の周りと競技場の中を含めた一周約2.5kmのコースを4周しての10kmでした。

 途中多くのランナーに抜かされましたが、その中にはもちろん視覚障害者に方もたくさんいらっしゃいました。ぬかされるたびに目が見えない状態で走るというのはどういう事なのだろうかと思ってみましたが、もちろん何も想像できませんでした。想像は出来ないのですが、とにかく凄い事だなぁと思ったのは確かです。ぜぇぜぇと走りながらすげぇすげぇと思っていました。

 5′20″/km 前後で走る方に(黙って後ろからくっついて)引っ張ってもらい、最後の1.5kmは5分/kmをわずかに切るペースにい上げて無事ゴール。心配していた膝も持ったようで、無事完走することが出来ました。

 大会の最後は表彰式。さすがに東京の大会、プレゼンターはあの為末大選手と高平慎二選手。ゲストランナーは北京五輪50km競歩7位の山崎勇喜選手でした(ちなみに山崎選手はこの日10km第一レースを競歩で41分で歩き、第二レースでは視覚障害の方の伴走をされていました。さすが!)。

 全体としてはこじんまりとしていて、暖かい大会でした。自分が障害のある方々の直接の役に立てるかどうかは分かりませんが、こういった大会に参加することで感じることが多いような気がしました。来年も走りたい大会でした。